安国論寺(神奈川県鎌倉市)を訪問しました
妙法華経山 安国論寺(→神奈川県鎌倉市大町4丁目)は、鎌倉時代中期の1253(建長5)年に安房国の千光山 清澄寺(→千葉県鴨川市清澄)から鎌倉入りした日蓮が、松葉ヶ谷草庵(まつばがやつそうあん→神奈川県鎌倉市大町名越)を結んだ場所に創建した日蓮宗寺院です。鎌倉市教育委員会の発掘調査により、この場所は比企能員(ひきよしかず)殺害の舞台にもなった北条時政の名越(なごえ)邸跡地ではないかと指摘されています。
創建年は日蓮が鎌倉入りした1253(建長5)年とされますが、実際の開山は、龍ノ口の法難で佐渡へ流罪(→実際は佐渡守護・大仏北条宣時(おさらぎほうじょうのぶとき)館への「預かり」)となった日蓮が、赦免され鎌倉に帰還した1271(文永11)年になります。
安国論寺は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡大町村の条に「安国寺」として次のように記されています。
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大町村
安国寺(→安国論寺のこと)
松葉谷(まつばがやつ)にあり、妙法山と号す、妙本寺末、寺伝に拠るに建長五年(→1253年)日蓮房州(→安房国)小湊より当所に移住し僅(わずか)に小庵を営み、茲(ここ)に肇(はじめ)て法華経の首題を唱し旧跡なりと云(い)ふ、今北の山中に旧跡あり、又妙法・長勝二寺にも庵跡の伝あり、何(いず)れか詳(つまびらか)ならず、此(ここ)に合考すべし、又門内右方に巌窟あり、茲に籠(こもり)て安国論(→『立正安国論』)を編述せしと云(い)へり、弘長元年(→1261年)豆州(→伊豆国)伊東に謫(たく)せられ、同三年(→1263年)赦免ありて再(ふたたび)爰(ここ)に還住しけるが、文永八年(→1271年)又囚(とらわ)れとなりて当所を去る。
後宗門開闢(かいびゃく)の旧跡たる故をもて同十一年(→1274年)起立して一寺となせしとなり、門に安国論法窟の四字を扁す、本尊は釈迦(→釈迦牟尼仏)を安置せり。
……(寺宝以下省略)……
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【安国論寺の参道】






【安国論寺の山門】
江戸時代中期の1746(延享3)年に徳川御三家の1つ尾張藩徳川氏によって再建されたもので、近世における典型的な唐様(からよう)の四脚門です。




【安国論寺の本堂】
昭和時代中期の1962(昭和37)年に再建されたものです。堂内には1本も柱がないため、開放的な空間が広がっています。





【安国論寺の内陣】






【安国論寺の御小庵(ごしょうあん)】
奥にある御法窟への拝殿で、渡り廊下で繋がっています。山門と同じく御小庵も尾張藩徳川氏が寄進したものです。








【安国論寺の境内】





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