上行寺(神奈川県鎌倉市)を訪問しました
法久山 大前院 上行寺(→神奈川県鎌倉市大町2丁目)は、鎌倉時代後期の1313(正和2)年に僧の日範が開山した日蓮宗寺院です。境内には、平安時代前期の正暦年間(→990年~995年)に勧請されたと伝わる瘡守(かさもり)稲荷や身代わり鬼子母神(きしぼじん)が祀られ、「癌封じの寺」としても有名です。
瘡守(かさもり)には、感染力が強く、古代から近世にかけて「不治の病」と恐れられていた疱瘡(ほうそう→天然痘)から人々を守るという願いが込められています。疱瘡神社や瘡守稲荷も民間信仰の代表例の1つです。また、本堂には「薬王経石」が置かれ、近世までこの経石で患部をさすると利益(りやく)があると信じられてきました。
江戸時代には本山・末寺の制により大光山 本圀寺(→京都府京都市山科区御陵大岩)の末寺となりました。なお、境内墓地には、1860(安政7)年3月3日の桜田門外の変で大老井伊直弼(いいなおすけ)を襲撃した水戸浪士の1人・広木松之介有良(享年25)の墓があります。事件後、広木は加賀(→現在の石川県)や越後(→現在の新潟県)を転々とした末鎌倉に逃れ上行寺に匿われますが、仲間の刑死を知り2年後の1862(文久2)年3月3日に自害したと伝わります。
上行寺は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡大町村の条に次のように記されています。
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大町村
上行寺
名越(なごえ)町にあり、法久山大前院と号す、本寺前に同じ(→本圀寺の末寺ということ)、正和二年(鎌倉時代後期→1313年)僧日範起立すと云(い)ふ、(日範)元応二年(→1320年)寂す、本尊本宗の諸尊及び宗祖(→日蓮)の像を安ず。
稲荷社
瘡守稲荷と号す、正暦年中(平安時代前期→990年~995年)の勧請と云伝(いいつた)ふ、按ずるに、正暦は当寺起立より、三百二十余年以前なれば、往昔より此所(このところ)に在(あり)し社(やしろ)なるや。
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【上行寺の山門】



【上行寺の本堂】










【上行寺の堂宇】





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↓↓井伊直弼の墓と豪徳寺
↓↓江戸城桜田門と桜田門外の変


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