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荏柄天神社(神奈川県鎌倉市)を訪問しました

荏柄天神社(→神奈川県鎌倉市二階堂)は、平安時代後期の1104(長治安元)年に天神を敬う里人が創建したと伝わる天満宮で、源頼朝が鎌倉幕府を開いた際は、大蔵御所(→神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目)の鬼門守護として崇められたといいます。神仏習合の頃は京都の東寺の末寺・一乗院(→廃寺)が別当寺として祭祀を司りました。

『吾妻鏡』には、1202(建仁2)年9月11日に2代将軍源頼家が菅原道真三百年忌を行い、奉幣使として政所別当大江広元を遣わせたと記されています。また、1213(建保元)年2月25日には謀叛(→泉親衡の乱)に加担した罪で死罪の判決を受けた渋河兼守が、10首の歌を荏柄天神社に奉納したところ、この歌をみた3代将軍源実朝が感動し、北条義時大江広元らの決定を覆し兼守の罪を許しています

1281(弘安4)年には、第2次蒙古襲来(→弘安の役)の異国調伏の一環として7代将軍惟康親王(これやすしんのう)が社殿を造営し、室町時代には歴代の鎌倉公方足利氏の保護を受けました。


室町時代中期の1455(享徳4)年6月16日、享徳の乱に際して8代将軍足利義政から鎌倉公方足利成氏(しげうじ)の討伐を命じられた駿河守護今川範忠が鎌倉に乱入します。この時、今川勢は荏原天満社の神体を掠奪して駿河に持ち去っています。その後、神体は1548(天文17)年に北条氏康が社殿を新築した際に新造されています。


荏柄天神社は、『相州相模荏柄山天満宮略縁起』を引用する形で『神奈川県神社誌』に、次のように記されています。

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当社の創立については社宝として伝える『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によると、「抑(そもそも)当地に此神(このかみ)を尊崇し奉る来由は、往古長治元年(一一〇四)八月廿五日九霄(きゅうしょう)(にわか)に搔曇り、天雷地軸を震ふ。その時雷雨と供に玉軸の一幅、当所の荏畑の中へ降臨し給ふ。人々怪しみ、見奉るに、黒色の束帯にして、両眼天を睨(にらみ)ていかれる尊形の天満宮雲の上に立たまひたる画像にてぞ有(あり)ける。里民恐れて、時の帝堀河院(→堀河天皇)へ、奏し奉り、此地に瑞籬(ずいり)をかまへ、御社を立(たて)、則(すなわち)画像を崇収し、左右に老松紅梅の両殿を祭る。彼(かの)降臨し給ふ地を。土民(→土地の人)ふむ事を恐(おそれ)て、銀杏の木を栽(うえ)、神木と仰ぐ。今の荏柄山是なり、云々。」とあり、後には源頼朝が鎌倉に幕府を開くや、幕府の鬼門の守護神として厚く崇敬されたと伝えている。

当社が歴史の上にあらわれてくるのは鎌倉時代の事であり、建仁二年(一二〇二)九月十一日将軍頼家(→2代将軍源頼家)、菅公(→菅原道真)三百年忌の祭事を行い大江広元(→政所別当)を奉幣使として参向せしめている。建保元年(一二二二→1213年の誤記)二月二十五日渋川兼守は、謀叛の答で処刑される事を聞き愁緒に堪えず、御社頭に十首の歌を奉じた。時の将軍実朝(→3代将軍源実朝)その歌を目にとめ大いに感じいり、その罪を許したという。和歌により冤罪を晴らすという特異な天神信仰は北野天神縁起にも示されている。

弘安四年(一二八一)には将軍惟康親王(これやすしんのう→7代将軍)により社殿が造営され、降って(5代)鎌倉公方・足利成氏(しげうじ)のたび重なる参詣があった事も史書に見える。享徳四年(一四五五)六月十六日、今川範忠鎌倉に乱入した時、御神体を掠奪して駿河に持ち帰ったが、その後御神体は天文十七年(一五四八)十二月の社殿造営には、北条氏康が関を設け関銭を徴してそれに充てた。又、元和八年(一六二二)鶴岡八幡宮造営の時には、若宮社(摂社)の旧社殿をうけて社殿を造営し、これ以降元禄十年(一六九七)、元文元年(一七三六)、宝暦三年(一七五三)、天明元年(一七八一)などにも鶴岡造営の度に残木、古材を受けて社殿を造営している。現社殿は鶴岡八幡宮の震災復興工事の際の仮殿を移したものである。

東寺の末寺・一乗院(廃寺)が別当として神仏分離迄管轄していた。明治六年(→1873年)十二月村社に列格。二階堂区の氏神社である。太宰府、北野とならんで三天神とよばれ、学問の神として御社頭盛んである。

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【荏柄天神社の鳥居】
荏柄天神社の鳥居1

荏柄天神社の鳥居2

荏柄天神社の鳥居3

荏柄天神社の鳥居4



【荏柄天神社の参道・神門】
荏柄天神社の参道1

荏柄天神社の参道2

荏柄天神社の参道3

荏柄天神社の参道5

荏柄天神社の参道6

荏柄天神社の参道7

荏柄天神社の参道8

荏柄天神社の参道0



【荏柄天神社の拝殿】
荏柄天神社の拝殿1

荏柄天神社の拝殿2

荏柄天神社の拝殿3

荏柄天神社の拝殿4

荏柄天神社の拝殿5

荏柄天神社の拝殿10

荏柄天神社の拝殿6

荏柄天神社の拝殿7

荏柄天神社の拝殿9

荏柄天神社の境内7

荏柄天神社の拝殿12

荏柄天神社の拝殿11

荏柄天神社の拝殿13

荏柄天神社の拝殿14

荏柄天神社の境内4



【荏柄天神社の権現社】
荏柄天神社の境内社2

荏柄天神社の境内社3

荏柄天神社の境内社4

荏柄天神社の境内社5

荏柄天神社の境内社6



【荏柄天神社の境内】
荏柄天神社の境内社1

荏柄天神社の境内1

荏柄天神社の境内2

荏柄天神社の境内3

荏柄天神社の境内6

荏柄天神社の境内5

荏柄天神社の境内8

荏柄天神社の境内9



【関取場跡(関所跡)】
北条氏康が社殿を新築した際に関所を設け、徴収した関銭を天神社の造営費用に充てたといいます。

荏柄天神社の関所1

荏柄天神社の関所2



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