藤沢御殿の堀跡(神奈川県藤沢市)を訪問しました
藤沢御殿の堀跡(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、現在の藤沢市民病院と藤沢公民館の間にあった藤沢御殿(→徳川将軍家の宿泊所)とその堀跡です。小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東入封を果たした1590(天正18)8月1日以降、家康は領国支配の拠点に、休憩・宿泊所として御殿や御茶屋を設置しました。御殿は、宿場町が整備される以前に江戸へ至る街道沿いの府中・小杉・神奈川・鎌倉・藤沢・中原・大磯・箱根・元箱根に作られました。藤沢御殿は神奈川御殿と同時期に作られた御殿で、安土桃山時代後期の1596(慶長元)年頃に作られたと記録されます。
藤沢御殿は1600(慶長5)年に徳川家康が鎌倉・江の島遊覧のために使用したという『慶長記』の記述が初出で、家康・秀忠(→2代将軍)・家光(→3代将軍)によって、1634(寛永11)年までに28回使用されました。
その後の使用はなく、1657(明暦3)年1月18日~20日に江戸の大半が焼失した明暦の大火が発生すると、藤沢御殿は解体され、江戸再建の資材に転用されました。
【藤沢御殿跡】




【藤沢宿と藤沢御殿のパネル】














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足元に来て丸くなる人懐っこい鳩がいて癒されました。
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↓↓小杉御殿跡と龍宿山 金剛院 西明寺


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