大鋸諏訪神社(神奈川県藤沢市)を訪問しました
大鋸諏訪神社(→神奈川県藤沢市大鋸3丁目)は、藤沢山 無量光院 清浄光寺(時宗総本山→神奈川県藤沢市西富1丁目)を開山した遊行四世呑海(→俣野景平の兄弟)が、鎌倉時代後期の1325(正中2)年秋に尾張国津島より勧請し、藤沢山の守護神として祀った神社です。以来、清浄光寺が別当寺として祭祀を司り、1868(明治元)年の神仏分離令後も祭事などで清浄光寺との繋がりは続いているようです。
創建時は清浄光寺の境内にあったようですが、江戸時代前期の慶安年間(→1648年~1652年)に鳥居の前で落馬事故が相次いだため風早之谷(→藤沢駅近く)に移され、さらに1699(元禄12)年に現在地に移転したと記されます。
〖祭神〗
・建御名方命(たけみなかたのみこと)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
・八坂刀売命(やさかとめのみこと)
〖境内社〗
・祖霊神
・太子堂
・大黒天社 →藤沢七福神の1つ
・道祖神
大鋸諏訪神社は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』高座郡大鋸村の条に「諏訪社」として次のように記されています。
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大鋸村
諏訪社
藤沢山の鎮神にて、当村及び大鋸町・大久保町高座郡の属、東坂戸町同郡坂戸町小名等の産神とす、神体は清浄光寺開山呑海、遊行巡国之時信州(信濃国→長野県)に得て携へ帰り、正中二年(→1325年)山中鎮護の為に勧請せしと伝へり、例祭は七月廿一日なり、清浄光寺表門前に仮家を造り、神輿を遷し、廿七日の夕、産子の町々を巡りて帰座するを例とす、清浄光寺持(もち)。
末社
天王、安永(江戸時代中期→1772年~1781年)中、尾州(尾張国→愛知県)津島より勧請す、稲荷。
神輿蔵
社守庵
不動院と号し、当山派の修験住す。
山王社
例祭六月十五日、清浄光寺支配栖徳院(→廃寺)の持(もち)なり。
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【大鋸諏訪神社の参道】





【大鋸諏訪神社の鳥居】

【大鋸諏訪神社の社殿】








【大鋸諏訪神社の境内社(大黒天社)】



【大鋸諏訪神社の境内社(道祖神)】




【大鋸諏訪神社の境内社(祖霊神)】



【大鋸諏訪神社の境内(太子堂)】



【大鋸諏訪神社の境内】





1805(文化2)年=江戸時代後期
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↓↓藤沢山 無量光院 清浄光寺について➀
↓↓藤沢山 無量光院 清浄光寺について②


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