弥勒寺(神奈川県藤沢市)を訪問しました
東耀山 弥勒寺(みろくじ→神奈川県藤沢市弥勒寺)は、鎌倉時代前期の1226(長禄2)年に3代執権北条泰時が創建した臨済宗寺院の法泉寺を前身とする寺院です。法泉寺は1333(元弘3)年5月18日~22日の鎌倉合戦(→鎌倉幕府滅亡時の市街戦)で新田・足利軍の兵火により堂宇が焼失しましたが、本尊の弥勒菩薩像は「弥勒出現の井」と呼ばれる洞窟に疎開させ無事であったようです。
南北朝時代の貞和年間(→1345年~1350年)に堂宇が再建されますが、戦国時代には頽廃していたと記されます。安土桃山時代の1573(天正元)年に僧の日祐が日蓮宗寺院の弥勒寺として再興し、旧本尊(→弥勒菩薩像)は境内の弥勒堂に納められたようです。江戸時代には本山・末寺の制により明星山 妙純寺(→神奈川県厚木市金田)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。
弥勒寺は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡弥勒寺村の条に次のように記されています。
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弥勒寺村
弥勒寺
東耀山と号す、法華宗、愛甲郡金田村妙純寺末、古(いにしえ)は法泉寺と号せし禅刹(→ここでは臨済宗)にて北条泰時の創建なり、元弘の乱に兵火に罹りて烏有(うゆう→焼失)し、本尊弥勒のみ窟中、今も弥勒出現の井と唱す、に残れり。
貞和(北朝年号→1345年~1350年)の頃、堂宇再建なりしか、後又頽廃(たいはい)して天正元年(安土桃山時代→1573年)、日祐当宗(→日蓮宗)に改め更に再造すと云う、本尊三宝祖師を安ず。
弥勒堂
古(いのしえ)の本尊長(ながさ)一尺六寸(→約48cm)、行基作を此(ここ)に安す、額あり、佐文山筆。
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【弥勒寺の山門】


【弥勒寺の本堂】




【弥勒寺の境内】


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↓↓粟船山 常楽寺と北条泰時の墓


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