隆昌院(神奈川県藤沢市)を訪問しました
柄沢山 宗休庵 隆昌院(りゅうしょういん→神奈川県藤沢市柄沢)は、江戸時代前期の1703(元禄16)年に僧の日心が開山した日蓮宗寺院です。日心は赤穂事件(あこうじけん→いわゆる忠臣蔵)で知られる赤穂藩主浅野長矩(あさのながのり)の家臣奥田孫太郎の末子と伝わります。1702(元禄15)年12月14日(→当時の数え方だと15日)早朝に吉良邸に討ち入り吉良義央(きらよしひさ)を殺害した赤穂浪士は、幕府の命により、1703(元禄16)年2月4日にお預かりの大名屋敷で切腹しました。
日心は「君父菩提之為」に鎌倉に来て、日蓮宗の両山(→鎌倉妙本寺・池上本門寺)の弟子となり比企永代千部大会(→大規模な仏教儀礼)を開催した法勲により、両山24世日等から鬼子母神像をもらい、当地に隆昌院を建立したと伝わります。
この鬼子母神像は、鎌倉時代中期に、日蓮宗の開祖日蓮が松葉谷草庵で弟子の日法に彫刻させた「宗祖開眼の尊像」と伝えらえ、長興山 妙法寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)を開基した比企能本(ひきよしもと)に与えられたものといいます。隆昌院は、江戸時代には本山・末寺の制により妙本寺末寺の長藤山 妙善寺(→神奈川県藤沢市藤沢1丁目)の末寺とされました。
「柄沢の鬼子母神」こと隆昌院は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡柄沢村の条に「鬼子母神社」として次のように記されています。
**************************
柄沢村
鬼子母神社
藤沢坂戸町妙善寺持(もち)。
**************************
【隆昌院の山門】

【隆昌院の本堂】
幕末期の1863(文久3)年の建立です。





【隆昌院の境内】

********************************
〖近くの森坂稲荷大明神〗







********************************
↓↓本山の長興山 妙本寺
↓↓妙本寺の蛇苦止堂
↓↓龍芳山 万昌院 功運寺と吉良義央の墓


スポンサーサイト

コメント