柄沢神社(神奈川県藤沢市)を訪問しました
柄沢神社(からさわじんじゃ→神奈川県藤沢市柄沢)は、創建年代の詳細は不明ですが、神仏習合の頃は孝安天皇(→実在の可能性が極めて低い6代天皇)を祀る「第六天社」と呼ばれ、鎌倉時代前期の1193(建久4)年には入間野・那須野での巻狩(まきがり→狩りを兼ねた軍事演習)へ向かう途中に源頼朝が参拝したことで信仰が広まったと伝わります。
境内には神仏習合の頃の名残りと思われる鐘楼と梵鐘があり、柄沢村が江戸時代中期の1724(享保9)年に下野烏山藩(しもつけからすやまはん)の知行地に加えられた際、藩主大久保忠保(おおくぼただやす)らが祭事を尽くしたという記録にあるものと思われます。
1868(明治元)年3月に明治政府の神仏分離令を受けて柄沢神社と改称し、大正時代後期の1921(大正10)年には近くの神明神社が合祀されました。
〖祭神〗
・孝安天皇(こうあんてんのう)
・天照大神(あまてらすおおみかみ)
柄沢神社は、江戸時代後期の1841(天保12)年に編纂された『新編相模風土記稿』鎌倉郡柄沢村の条に「神明社」「第六天社」として次のように記されています。
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柄沢村
神明社
第六天社
以上二社共に村の鎮守にて例祭十一月十六日、村持(むらもち)。
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【柄沢神社の石仏群】








【柄沢神社の参道・鳥居】




【柄沢神社の社殿】




【柄沢神社の鐘楼と梵鐘】




【柄沢神社の境内】






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↓↓鐘楼と梵鐘がある山田神社
↓↓鐘楼と梵鐘がある大庭神社


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