川和八坂天王社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
川和八坂天王社(→神奈川県横浜市都筑区川和町)はもとの鎮座地は不詳ですが、1368(慶応4)年3月の戊辰戦争の際に、新政府軍の江戸攻めによる戦禍から逃れるため、川和宿が「八坂神社」の大神輿を引き取り神体として祀ったと伝わります。境内には明治時代後期の1908(明治41)年に建立された二十三夜塔(→月待塔の1つ。講中による民間信仰)と、力比べの伝承が残る24貫(→約90Kg)の「天王様の石」と呼ばれる力石があります。
「天王様の石」は、四日市大学論集第21巻「神奈川の力石(2)」の項に次のように記されています。
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集落を一回りすると、中央部には、鎮守である天王神社(例祭八月一日)が鎮座し、その境内には二十三夜塔(明治四十一年造立)と、「天王様の石」(銘・年号なし)と称されている二十四貫の楕円形の力石を知ることができる。
……(中略)……天王神社の境内は、すでにふれたように「天王様の石」と称される力石が残されている。この石は、かつて村の青年たちの力競(ちからくら)べに使われたと伝承されているのみであるが、「天王様の石」と称されるからには、この石に神の宿りをみていたのかも知れない。だがこの石に市神が宿っていたかは、現今では詳(つまび)らかにすることはできない。
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【川和八坂天王社の鳥居】

【川和八坂天王社の社殿】



【川和八坂天王社の神体(大神輿)】

【川和八坂天王社の力石】

【川和八坂天王社の二十三夜塔】

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↓↓牛頭天王社と御霊信仰について


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