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川和八幡神社(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

川和八幡神社(→神奈川県横浜市都筑区川和町)は、創建年代等は不詳ですが、社伝に平安時代前期の875(貞観17)年12月5日に河輪神に従五位下を授けさせ給へり」とあり、1879(明治12)年の『神明社細帳』に、「往昔土地創拓の際、河(→鶴見川)流輪の如く東南に一原あり、名付けて河輪(かわわ)と言い、その中央に一社を経て、河輪神社と称す」とあるので、古代より鎮守として崇敬されていたことが分かります。

川和村は、戦国時代には玉縄城主北条綱成(ほうじょうつなしげ)の玉縄領(20貫)となったので、八幡社は北条綱成の保護を受けたと推察されます。神仏習合の頃は隣接する八幡山 東明寺(→星宿山 蓮華蔵院 王禅寺の末寺。現在は廃寺)が別当寺として祭祀を司りましたが、現在は驚神社(おどろきじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目)の兼務社となっています。

なお、川和八幡神社と改称されたのは1893(明治26)年9月13日のことで、1920(大正9)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんふはくりょうきょうしんじんじゃ)となり、例祭などに神奈川県知事から幣帛料(→金銭)が贈られました。現在は日本国憲法の政教分離の原則に基づき、幣帛料は県知事からではなく神社本庁から贈られます。

〖祭神〗
河輪神(かわわのかみ)
八幡大神(はちまんのおおかみ)


川和八幡神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡川和村の条に「八幡社」として次のように記されています。

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川和村
八幡社
見捨地、村の西方にあり、神体は鏡で三尊の弥陀を鋳出したり、小社にて三間四方の覆屋あり、例祭九月十五日、東明寺の持(もち)なり、下同じ。

末社
稲荷社 
小社、本社に向(むかい)て右にあり、下同じ。

天神社 
牛頭天王社

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【川和八幡神社の鳥居】
川和八幡神社の鳥居1

川和八幡神社の鳥居2

川和八幡神社の鳥居3



【川和八幡神社の参道】
川和八幡神社の参道1

川和八幡神社の参道2

川和八幡神社の参道3



【川和八幡神社の社殿】
川和八幡神社の社殿1

川和八幡神社の社殿2

川和八幡神社の社殿3

川和八幡神社の社殿4



【川和八幡神社の境内】
川和八幡神社の境内6

川和八幡神社の境内3
(日清戦争の忠魂碑)
川和八幡神社の境内5
(日露戦争の戦勝記念碑)
川和八幡神社の境内1
(日露戦争・日中戦争・太平洋戦争の忠魂碑)
川和八幡神社の境内2

川和八幡神社の境内4

川和八幡神社の石仏群8

川和八幡神社の石仏群12

川和八幡神社の石仏群10



【川和八幡神社の石塔群】
川和八幡神社の石仏群1
川和富士から移転された記念碑)
川和八幡神社の石仏群2
川和富士から移転された庚申塔)
川和八幡神社の石仏群5
(馬頭観音・堅牢地神・二十三夜塔)
「堅牢地神」は陰陽道地神信仰に基づく民間信仰の1つで、東日本では神奈川県とかつて神奈川県だった東京都町田市に多く見られますが、かつて神奈川県だった北多摩と西多摩にはほとんど見られません。
川和八幡神社の石仏群6
(馬頭観音・道祖神)
川和八幡神社の石仏群7

川和八幡神社の石仏群9

川和八幡神社の石仏群11


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↓↓川和八幡神社に石碑が移された川和富士について

↓↓川和八幡神社の本務社の驚神社


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