宗泉寺(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました
放光山 宗泉寺(→神奈川県横浜市緑区北八朔町)は、江戸時代前期の元和年間(→1615年~1624年)に慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の住職顕堂長察によって開山されたと伝わる曹洞宗寺院です。江戸時代には本山・末寺の制により大林寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。
八朔(はっさく)の地は、平安時代の承平年間(→931年~938年)に編纂された『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の郷名にある「針折」が、戦国時代の永禄年間(→1558年~1570年)までに「八朔」の文字に改められたようです。
宗泉寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡北八朔村の条に次のように記されています。
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北八朔村
宗泉寺
除地、四畝、村の中程にあり、禅宗曹洞派、長津田村大林寺の末、放光山と号す、開山顕堂寛永九年(江戸時代前期→1632年)八月二十六日寂す、客殿七間に六間東向(ひがしむき)なり、本尊釈迦立像にて長(ながさ)二尺(→約60cm)ばかり、湛慶(たんけい→東大寺南大門の金剛力士像などを彫った仏師運慶の長男)の作なりと云(いう)。
秋葉稲荷社
境内山上にあり。
山王社
同山下にあり。
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【宗泉寺の山門】


【宗泉寺の参道】




【宗泉寺の本堂】




【宗泉寺の内陣】


【宗泉寺の地蔵堂】


【宗泉寺の境内】





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↓↓本山であった慈雲山 大林寺


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