十二神社(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました
十二神社(→神奈川県横浜市緑区北八朔町)は、江戸時代前期の1649(慶安2)年に、この地の領主であった旗本(→のちの下総関宿藩主)の久世広之(くぜひろゆき)が、本牧の十二天社(現在の本牧神社→神奈川県横浜市中区本牧和田)を勧請して創建したと伝わる北八朔町の鎮守です。第一次世界大戦中の1916(大正5)年5月21日に神饌幣帛料供進神社(しんせんふはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定され、祭礼の際に神奈川県知事より幣帛料(→金銭)を賜りました。
〖主祭神〗
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
〖祭神〗
・木花咲耶姫(このはなさくやひめ)
・菅原道真(すがわらのみちざね)
十二神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡北八朔村の条に「十二天社」として次のように記されています。
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北八朔村
十二天社
除地、二十八歩、村の中央にあり、上屋三間に一間半東向(ひがしむき)なり、内に小祠を置(おく)、例祭は年々八月五日、村の鎮守にて村民の持(もち)なり、勧請は慶安二年(→1649年)久世大和守(→久世広之)領地の時、久良岐郡本牧にある十二天を当村に勧請せりと云(いう)、社前に鳥居あり。
末社
弁天社
右の方にあり。
天神社
見捨地、三坪許(ばかり)、字天神木にあり、北向(きたむき)なり、村民の持(もち)。
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【十二神社の鳥居】


【十二神社の拝殿】






【十二神社の天満宮】



【十二神社の境内】

(地神塔・小御嶽・堅牢地神)

(庚申塔)

(二十三夜塔)




心温まる絵馬がありました。
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↓↓川崎市麻生区の十二神社


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