西八朔杉山神社(神奈川県横浜市緑区)を訪問しました
西八朔杉山神社(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は、創建年代等は不詳ですが、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「都筑郡一座杉山名神」と記載され、武蔵国六宮になっていた杉山神社に比定される神社の1つ(→論社)です。現在地には江戸時代前期の延宝年間(→1673年~1681年)に移転したらしく、それ以前は西北300ⅿほどの山麓にあったといわれています。
神仏習合の頃は真言宗豊山派寺院の顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市西八朔町)が別当寺として祭祀を司り、江戸時代前期の1649(慶安2)年には幕府(→3代将軍徳川家光の頃)より社領5石6斗を拝領しました。その頃の神体は30cmほどの不動明王立像であったと記されます。
大正時代後期の1920(大正9)年9月には、例祭の際に神奈川県知事より幣帛料(→金銭)を贈られる神饌幣帛料供進神社(しんせんふはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定されました。
〖主祭神〗
・五十猛命(いそのたけるのみこと)
〖祭神〗
・大日孁貴(おおひるめのむち)
→天照大神(あまてらすおおみかみ)のこと
・素戔嗚命(すさのおのみこと)
・大田命(おおたのみこと)
西八朔杉山神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡西八朔村の条に「杉山社」として次のように記されています。
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西八朔村
杉山社
村の東方にあり、上屋三間四方、内に小祠を置(おき)南向(みなみむき)なり、社前に鳥居を立、昔は西北両村(→西八朔村と北八朔村)の鎮守なりしが、今は当村のみなりと云(いう)、北八朔村の小名に鳥居など云(いう)所あり、元此社(このやしろ)の一の鳥居其所(そのところ)にありしといへば、西北一村なることは自(おのづか)ら知(しる)べし、村内にて五石六斗の社領を附せらる、例祭年々八月朔日、此日(このひ)を用(もちい)るは村名によれりなど云(いう)、さもあるべし、神体は不動の立像にて長(ながさ)一尺(→約30cm)許(ばかり)。別当極楽寺。
末社
八幡社
本社に向て左の方に祠を立。
宝生権現社
本社に向て右の方にあり、此(この)神体いかなるものを祭りしや詳(つまびらか)なることをしらず。
観音堂
向て左にあり、三間四方、十一面観音、木像にして長(ながさ)二尺(→約60cm)ばかり。
鐘楼
門を入て左の方にあり、明和五年(江戸時代中期→1768年)の銘あり、後証に益なければ略す。
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【西八朔杉山神社の参道】

【西八朔杉山神社の鳥居】


【西八朔杉山神社の社殿】






【西八朔杉山神社の境内社(稲荷社)】


【西八朔杉山神社の小祠】

【西八朔杉山神社の境内】

(地神塔・馬頭観音)


(力石)






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↓↓別当寺を務めた顕弘山 蓮花院 極楽寺


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