子母口富士見台古墳(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました
子母口富士見台古墳(しぼぐちふじみだいこふん→神奈川県川崎市高津区子母口)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)の櫛を「御陵」として祀ったという伝承をもつ円墳です。宅地造成により古墳の麓が大きく削られていますが、川崎市教育委員会によると現存部分の墳径は17.5ⅿ、高さ3.7ⅿあり、築造当初はかなり大きな円墳であったと推察されます。
近くには日本武尊と弟橘媛を祭神とする橘樹神社(たちばなじんじゃ)があり、その社伝には、「日本武尊が東征の際に相模から海路で上総に向かおうとしたが、海が荒れて出航できずにいた。そこで、弟橘媛が荒れる海中に自らその身を投じ、日本武尊のために海を鎮め、やがて入水した弟橘媛の衣や冠の一部がこの地に漂着した」とあります。『古事記』には「かれ七日ありて後に、其の后(→弟橘媛)の御櫛海辺によりたりき。すなはち、その櫛を取りて御陵を作りて治め置きき」とあり、地元の人が橘樹神社の社伝と結び付けて「御陵」としたのが、子母口富士見台古墳と伝わります。
日本武尊と弟橘媛の伝説はおよそ史実ではありませんが、東京湾岸の神奈川県・千葉県・東京都に伝説の史跡がいくつもあるのは民俗学的に興味深いものがあります。
子母口富士見台古墳は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』橘樹郡子母口村の条には記載がありません。古墳と認識されていなかったことが窺えます。
【子母口富士見台古墳】






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↓↓弟橘媛を祀る近くの橘樹神社について
↓↓木更津市の橘神社について


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