鎌田堂(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
鎌田堂(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、平安時代後期の武将で源義朝(→源頼朝の父)の家人で乳母子でもある鎌田政清の館跡に建立されたと伝わる地蔵堂です。江戸時代前期までは純金製の観音菩薩像を安置していたようですが、盗賊に奪われ、1673(寛文13)年に石の地蔵尊を建立したと記されます。
江戸時代には真言宗豊山派寺院の妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)が管理し、幕末の安政年間(→1855年~1860年)までは、住職が定住する念仏道場として機能したようです。
鎌田堂は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡山田村の条に「地蔵堂」として次のように記されています。
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山田村
地蔵堂
年貢地一畝歩、村の東中原新道にあり、これを土人(→百姓)鎌田堂と云(い)ふ、二間に三間なり、古(いにしえ)はこの堂に印子(→純金)の観音を置きしが賊(→盗賊)の為に奪はれて後に石の地蔵を再建せり、長泉寺の抱地なり、此辺を土人呼びて城山或(あるいは)鎌田屋敷など云(い)ふ。
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【鎌田堂の入口】

【鎌田堂の地蔵堂】





【鎌田堂の境内】



(馬頭観音)

(六地蔵)


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↓↓鎌田政清の百回忌を記した板碑のある祇央山 龍頭院 妙法寺
↓↓鎌田堂を管理した妙見山 不動院 長泉寺


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