のちめ不動尊(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました
のちめ不動尊(→神奈川県横浜市都筑区東山田町)は、『二〆(のちめ)不動尊縁起』によると、幕末期の1864(文久4)年に二〆(→現在の東京都八王子市)から不動像を背負って移住した名主の栗原家が建立した不動堂で、創建当初は鎌田堂近くの「城山」山頂にあったようですが、天災のために現在地に移されたようです。かつては栗原家から不動堂まで参道が敷かれていたそうですが、今は舗装された道路に囲まれそれらしきものは見当たらないため、港北ニュータウンの建設で城山とともに消滅したのでしょう。
2008(平成20年)正月には、栗原家の庭の石塔からのちめ不動像の擬宝珠に刻まれた「源貞慎」(みなもとのさだまさ→のちめ不動像の制作者)と同じ刻銘が発見され、地域のニュースにもなりました。
【のちめ不動尊の参道】


【のちめ不動尊の本堂】




【のちめ不動尊の厨子】
明治時代には眼病平癒に効能があると宣伝され、多くの参拝者が訪れたといいます。


【のちめ不動尊の堂宇】


(賓頭盧尊)

(地蔵菩薩)

(馬頭観音)
【のちめ不動尊の境内】

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↓↓鎌田政清の館跡に建立された鎌田堂


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