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玄国寺(東京都新宿区)を訪問しました

龍池山 上珠院 玄国寺(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に創建されたものの、その後衰退し、延宝年間(→1673年~1681年)に僧の盛源によって中興された真言宗豊山派寺院です。当初は明王山 聖無動院 宝仙寺(→東京都中野区中央2丁目)の末寺だったようですが、中興後は神齢山 悉地院 護国寺(→東京都文京区大塚5丁目)の末寺に属したと記されます。また、江戸時代には隣接する新宿諏訪神社の別当寺として祭祀を司りました。

寺宝として所蔵する玉一粒は、北条義時(→鎌倉幕府2代執権)の妻が難産した際に、父の北条時政(→鎌倉幕府初代執権)が江嶋弁財天(→神奈川県藤沢市江の島2丁目)に参籠してこの玉を得て持ち帰ったところ、義時の妻は無事に子を出産したという縁起をもつ玉といわれています。真偽の程は定かではなく、後世の創作と思われますが、このような話があること自体は個人的に興味をそそります。


玄国寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』多磨郡諏訪村の条に「諏訪神社 別当玄国寺」として次のように記されています。

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諏訪村
別当玄国寺
新義真言宗、大塚護国寺末、古(いにしえ)は多磨郡中野宝仙寺の末なりしが、元禄九年(→1696年)今の末に属せり、龍池山上珠院と号す、本尊阿弥陀、長(ながさ)七尺(→約210cm)(ばかり)行基作、慶長六年(→1601年)の起立にして延宝年中(→1673年~1681年)盛源中興す。

寺宝
玉一粒、安産興栄の玉と称す、相伝ふ、北条遠江守時政(→鎌倉幕府初代執権)、其子相模守義時(→北条義時)の妻難産の時、江嶋弁財天へ参籠して感得し、其加護に依(より)て平産ありし処なり、其後庵原左衛門尉頼景に授け、代々相伝せしに、遥の後享保年中(→1716年~1736年)遠孫上原好右衛門吉重と云者(いうもの)岡野備中守恒成の家人(→家来)たりし頃、故有て此玉密々に御本丸御用としてしばしば奉り、其時々白銀檀縁の因を以て当寺へ寄附し、其後いかがの故にや一旦上原方へ返却しを、寛政十年(→1798年)子孫遠藤備前守の家人三郎右衛門と云者(いうもの)、再び寄納すると云(いう)、玉の寄附状及(および)縁起上原氏の系譜を添へ、譜中にも玉の伝来具(つぶさ→詳細)に載たれど、信ずべき事実もあらざればここに略す。

鐘楼
享保八年(→1723年)鋳造の鐘をかく。

聖天堂
地蔵堂
土屋地蔵と号す、源兵衛村に接する土屋甚助の下屋敷より掘出せしをここに安ず、故に此(この)名あり。

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【玄国寺の山門】
玄国寺の山門1

玄国寺の山門2

玄国寺の山門3



【玄国寺の本堂】
玄国寺の本堂1

玄国寺の本堂2

玄国寺の本堂3

玄国寺の本堂4



【玄国寺の内陣】
玄国寺の内陣1

玄国寺の内陣2

玄国寺の内陣3



【玄国寺の弁天堂】
玄国寺の弁天堂2

玄国寺の弁天堂3

玄国寺の弁天堂4

玄国寺の弁天堂5

玄国寺の弁天堂7

玄国寺の弁天堂6

玄国寺の弁天堂8



【玄国寺の鐘楼】
玄国寺の鐘楼1

玄国寺の鐘楼2

玄国寺の鐘楼3



【玄国寺の境内】
玄国寺の境内1

玄国寺の境内2

玄国寺の境内3

玄国寺の境内4

玄国寺の境内5

玄国寺の境内6


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↓↓玄国寺が祭祀を司った新宿諏訪神社
(7月27日公開予定)


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