東光院(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました
岡上山 東光院 宝積寺(→神奈川県川崎市麻生区岡上)は、行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献した奈良時代の高僧)創建の伝承を持つ一方、蚕影社(→現在は川崎市立日本民家園へ移築)や瘡守社(かさもりしゃ)を持ち様々な信仰の側面がみられる真言宗の単立寺院です。創建年代等の詳細は不明ですが、天正年間(→1573年~1592年)の住職が11世というので奈良時代頃の創建であることは確かなようです。江戸時代には真言宗醍醐寺派の大本山である京都三宝院(→京都府京都市伏見区醍醐東大路町)に属する一方、現在の岡上神社の別当寺として祭祀を司りました。
東光院には平安時代に作られた「木造兜跋毘沙門天立像」(もくぞうとばつびしゃもんてんりゅうぞう)が伝わり、川崎市の重要歴史記念物に指定されています。川崎市教育委員会によると、この像の多くは平安時代に作られており、関東では東光院と朝日観音堂(→神奈川県南足柄市怒田)だけにしか伝えられていないとのことです。
東光院は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡岡上村の条に次のように記されています。
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岡上村
東光院
境内御朱印地、村の北にあり、新義真言宗、京都三宝院の末、岡上山宝積寺と号す、本堂十一間に七間東向(ひがしむき)、本尊不動立像三尺(→約90cm)許(ばかり)なるを安置す、開山開基を詳(つまびらか)にせずと云(い)へど、天正の頃まで十一代に及ぶといひ、又天正十九年(→1591年)の水帳(→検地帳)にも載(のり)たれば、いづれ古き寺なること知(しる)べし、大猷院殿(→徳川家光)より寺領十五石の御朱印を賜へり。
二王門(→仁王門)
堂の正面にあり、五間に二間半。
鐘楼
門を入て右の方にあり、近き頃鋳し鐘なるに似たれど、其鋳し年月をしるさず。
天神社
堂の右にあり。
疱瘡神社
これも同じ辺(あたり)にあり。
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【東光院の山門】



【東光院の本堂】




【東光院の仁王門】











【東光院の鐘楼】





【東光院の瘡守社】




【東光院の蚕影山跡(蚕影社跡)】

【東光院の境内】






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↓↓岡上神社について


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