月読神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました➁
月読神社(つきよみじんじゃ→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、戦国時代の1534(天文3)年に麻生郷の地侍小島佐渡守が五穀豊穣を祈願して皇大神宮の別宮(→月読宮)を居所(→亀井城)に勧請したのが始まりと伝わる旧麻生郷の鎮守社です。『神奈川県神社庁史』には江戸時代の1708(宝永5)年に社殿が再建と記されています。
明治時代後期の1906(明治39)年に国の一村一社政策を受け、近隣の白山神社(山口谷)・熊野神社(上麻生)・日吉神社(下麻生)などを合祀して「麻生神社」(あさおじんじゃ)となりますが、再び月読神社として分祀されました。境内には「下麻生亀井古墳群」があり、円墳が1号墳~3号墳まで確認でき、以前よりも墳丘が見やすくなりました。
〖祭神〗
・月読命(つくよみのみこと)
・大日孁尊(おおひるめのみこと)
→天照大神(あまてらすおおみかみ)のこと
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・白山姫尊(しらやまひめのみこと)
月読神社は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡上麻生村の条に「月読社」「熊野社」「白山社」「山王社」、下麻生村の条に「山王社」として次のように記されています。
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上麻生村
月読社
除地一段村の東にあり、三間四方、神体は座像にて長(ながさ)一尺(→約30cm)ばかり、当村ならびに下麻生村の鎮守にして、例祭は年々九月二十九日、村民の持(もち)なり。
熊野社
除地二段、村の中央にあり、本社は二間に一間半、拝殿三間半、いづれも南に向ふ、前に鳥居を立、例祭九月二十一日、村民の持(もち)、末社瘡守(かさもり)鷺妙院合殿、本社に向て左にあり。
白山社
年貢地、字山口にあり、南向(みなみむき)なり、村民の持(もち)、以下二社の百姓の持(もち)なり。
山王社
年貢地、同じく字山口にあり、南向(みなみむき)なり。
神明社
年貢地、同所にあり、同じ向なり。
下麻生村
山王社
除地五坪、村の中央にあり、村民の持(もち)なり。
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【月読神社の鳥居】




【月読神社の社殿】





【月読神社の境内社(日枝社・熊野社)】





【月読神社の境内】






【下麻生亀井古墳群】




【亀井城跡】


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↓↓月読神社を訪問しました➀


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