旧松代藩鐘楼(長野県長野市松代町)を訪問しました
旧松代藩鐘楼(→長野県長野市松代町松代)は、初代松代藩主真田信之が1624(寛永元)年に火の見櫓とともに設置したのが始まりで、その後3度の火災で焼け落ち、現在の鐘楼は火の見櫓と別棟にした1801(享和元)年に再建されたものが母体となっています。2012(平成24)年に修復が施され、長野市の指定文化財(建造物)になりました。
時計が広まっていなかった江戸時代、各藩では昼夜の別なく一刻(→約2時間)ごとに大鐘を突く決まりがあり、藩士や住民は、この鐘の音で時刻を知り、時間の管理を行いました。また、鐘楼は、火災などの非常を城下に知らせる役割も果たしました。
旧松代藩鐘楼の地は、江戸時代後期の1849(嘉永2)年に松代藩士佐久間象山が鐘楼のある場所で電信実験を成功させたと言われており、それを記念する「日本電信発祥之地」の碑が鐘楼の前に建てられています。
【旧松代藩鐘楼】








【4代目の鐘(画像提供:信州松代観光協会)】

【日本電信発祥之地】


【館三郎居住の地】



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