金刀比羅神社(長野県長野市松代町)を訪問しました
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ→長野県長野市松代町豊栄字宮崎)は、創建年代等の詳細は不明ですが、長野県神社庁長野支部に属する宗教法人登録がされている神社です。長野支部によると江戸時代中期にはすでに「金刀比羅社」「金刀比羅大権現」として宮座の活動が確認できるそうです。北前船の寄港地である日本海側の各港には金刀比羅神社が多く見られますが、長野市内では千曲川やその支流沿いに多く見られます。水運の発達と同時に、水害に苦しめられてきた歴史がみてとれます。
江戸時代、松代藩に大きな被害をもたらした千曲川の氾濫としては1742(寛保2)年の「戌の満水」と呼ばれる千曲川史上最大の大洪水があり、「全滅村落は数知れず、死者は2800人に及ぶ」(千曲川河川事務所)と言われています。1847(弘化4)年の善光寺地震でも土砂崩れが犀川をせき止め、崩壊して下流に大きな被害をもたらしました。長野市内に「水神(海神)」である金刀比羅神社が勧請(再建)されたのは、このような千曲川や支流の氾濫が背景にあるのでしょう。
〖祭神〗
・素戔嗚命(すさのおのみこと)
・大物主神(おおものぬしのかみ)
・金山彦神(かなやまひこのかみ)
→鉱山・鉱物・鍛冶・包丁の神、皆神山の神
【金刀比羅神社の鳥居】




【金刀比羅神社の社殿】





【金刀比羅神社の祠】


【金刀比羅神社の境内】





境内の正面には修験道の中世遺構があり古代から信仰の対象とされてきた標高659ⅿの火山・皆神山(みなかみやま)が聳えます。


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