恵明寺(長野県長野市松代町)を訪問しました
象山 恵明禅寺(→長野県長野市松代町西条)は、江戸時代前期の1677(延宝5)年に松代藩3代藩主・真田幸道が開基、明国から来日した黄檗宗2世木庵性瑫(もくあんしょうとう)が開山した黄檗宗(→臨済宗黄檗派)寺院です。一般的には恵明寺と呼ばれ、江戸時代には京都府宇治市にある黄檗山 万福寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。1825(文政8)年に火災に遭い、山門のみ火災を免れ今に至ると伝わります。
境内には真田幸道の正室豊姫(→宇和島藩2代藩主伊達宗利の娘)の御霊屋があります。豊姫は「あんず姫」とも呼ばれ、15歳で嫁いだ際に、実家より故郷を偲ぶ品として「鉢植えのあんず」(→あんずの種子とも)を持参し、これが松代名産のあんずの始まりとも言われています。あんずの種子の中から取り出した杏仁は、江戸時代には咳止めの薬として重宝され、1848(嘉永元)年には松代藩の藩専売品に指定されました。
【恵明寺の山門】





【恵明寺の本堂】





【恵明寺の豊姫御霊屋】







【恵明寺の境内】





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