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松代城(長野県長野市松代町)を訪問しました③

松代城(まつしろじょう→長野県長野市松代町)は、戦国時代に甲斐の武田晴信(武田信玄)と越後の長尾景虎(上杉謙信)が北信濃の覇権を競った川中島合戦において、武田方の拠点として1560(永禄3)年に山本勘助(山本菅助)が築いたと伝わる海津城を前身とする平城です。武田時代には屋代氏・香坂氏・春日氏といった主に川中島4郡(→埴科郡・更級郡・高井郡・水内郡)の国衆が城代を務めました。

江戸時代前期の1622(元和8)年に上田藩主の真田信之(→真田昌幸の長男)が13万石で松代藩に加増入封して以降、松代城は松代藩の政庁として明治維新まで藩主真田氏の居城となりました。なお、幕府の命令で「松代城」と改められたのは1711(正徳元)年のことで、それまでは「松城」と呼ばれていました。幕末期の1853(嘉永6)年の火災で本丸御殿を焼失しましたが、1864(元治元)年に城外御殿として真田邸(→当時は「新御殿」)が建てられました。


【松代城の全体像】
北に千曲川、南と東に武田式縄張りの流れを汲む大きな堀を備えています。

松代城の全体像1

松代城の全体像3

松代城の堀

松代城6

松代城の石垣



【松代城の大手門】
石垣は地元で採れた柴石や皆神山(みなかみやま)の石を使い、自然の形のまま積む野面積み(のづらづみ)で築かれています。

松代城の大手門1

松代城の大手門2

松代城1

松代城2



【松代城の太鼓門】
本丸正面に位置する松代城で最も大きな門です。藩士に登城時刻や緊急事態を知らせるための太鼓が備えられていたため、太鼓門と呼ばれました。

松代城の太鼓門前橋1

松代城の前橋

松代城の太鼓門

松代城の太鼓門1

松代城の太鼓門2

松代城の太鼓門3

松代城の太鼓門4




【松代城の本丸御殿跡】
松代藩の政庁で、藩主真田氏の居館が置かれました。

松代城の本丸跡1

松代城の本丸跡2

松代城の本丸跡3

松代城の本丸跡4

松代城の本丸跡5

松代城の本丸跡6

松代城の本丸跡7

松代城の本丸跡8

松代城の本丸跡9

松代城5




【松代城の戌亥の櫓】
松代城で最も高い櫓跡です。城絵図では2階建ての櫓が建っていたとあり、城下町を一望することができたようです。

松代城の戌亥の櫓1

松代城の戌亥の櫓2

松代城の戌亥の櫓3

松代城の戌亥の櫓4




【松代城の北不明門(きたあかずもん)】
本丸で太鼓門の反対側に位置する門で、千曲川河岸に通じる裏門で名前の通り開かずの門でした。

松代城の北不明門1

松代城の北不明門2

松代城の北不明門3




【松代城の土塁】
武田式縄張りの名残りを残す土塁で、絵図面によると戦国時代にはここまで千曲川が迫っていたようです。

松代城の土塁

松代城の土塁1

松代城の土塁

松代城の土塁

松代城の土塁


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↓↓松代城を訪問しました➀

↓↓松代城を訪問しました➁

↓↓真田宝物館・文武学校・真田邸を訪問しました


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