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真田邸を訪問しました➁

真田邸(→長野県長野市松代町松代)は、幕末期の1864(元治元)年に、松代藩9代藩主真田幸教(さなだゆきのり)が義母の貞松院の住まいとして松代城の城外御殿として建設したもので、当時は「新御殿」と呼ばれました。

江戸時代、大名の妻子は生涯江戸住まいを義務付けられていましたが、1862(文久2)年に行われた文久の改革(→薩摩藩の島津久光孝明天皇の勅使大原重徳(おおはらしげとみ)を奉じて江戸に参府し、14代将軍徳川家茂に実施させた幕政改革)で参勤交代制度が緩和され、妻子の帰国が許されました。そのため松代にも新たな屋敷が必要となり建設されたのが「新御殿」です。

のちに、隠居後の真田幸教もここに住み、明治維新後は伯爵となった真田家の私邸となりました。昭和時代の1966(昭和41)年に真田幸治(さなだゆきはる)氏によって当時の松代町に譲渡され、主屋・表門・土蔵7棟・庭園が幕末期の御殿建築の様式を今に伝え、松代城とともに国の史跡に指定されています。

真田幸教
真田幸教像(画像提供:真田宝物館)


【真田邸の表門】
真田邸1



【真田邸の御殿】
真田邸2

真田邸3



【真田邸の真田信之像】
真田邸00

真田邸0

真田邸01



【真田邸の恩田木工(おんだもく)像】
恩田木工民親(おんだもくたみちか)は江戸時代の経世家としても名高く、松代藩財政を建て直し優れた民政を行った人物として知られます。1757(宝暦7)年に6代藩主真田幸弘(さなだゆきひろ)に抜擢され、41歳で家老職勝手掛(かってがかり)となり窮乏する藩財政の立て直しを命じられました。

後世、松代藩士馬場正方(ばばまさかた)によって書かれたとされる『日暮硯』(ひぐらしすずり)は半知借上を廃止したなどと恩田木工民親の仁政を讃えた著書ですが、藩士を苦しめた半知(はんち→大名が家臣の知行の半分を継続的に借り上げること)や借上(かりあげ→大名が家臣の俸禄を継続的に借り上げること)は後世まで続いているため、著書の内容には脚色も見られます。

真田邸の恩田木工1

真田邸の恩田木工2

真田邸の恩田木工3

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↓↓真田宝物館・文武学校・真田邸を訪問しました➀


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